戸山公園 箱根山

戸山公園2025の3、箱根山

緑輝く季節です。
箱根山まで散歩してみました。
神奈川県足柄下郡箱根町ではなく、東京都新宿区の戸山公園の中にある小さな山です。

頂上の景色は、近くの木々に囲まれています。
下の写真のような景色が広がっています。
この山は江戸時代からの築山で、標高44.6mと山手線内では一番高いです。

公園内は、近くに住んでいらっしゃる方々が寛いでいたり、近所には学校施設が多いからなのか、クラブやサークル活動の方々が集っていたり、のどかな雰囲気です。

先日のゴールデンウィーク中の日曜日には、町内の「箱根山駅伝」が開催されていました。

箱根山に登らなくても、公園内はゆったりモードですので、日々の散歩にちょうどいいです。

戸山公園2025の1、箱根山

戸山公園2025の2、箱根山

戸山公園2025の3、箱根山

戸山公園2025の4、箱根山、標高石

戸山公園2025の5、箱根山、山頂の三つ葉葵

戸山公園2025の6、箱根山地図

戸山公園2025の7、箱根山

戸山公園2025の8、箱根山

戸山公園2025の9、箱根山

<場所>
東京都新宿区にある都立公園。
大久保地区(西側)と箱根山地区(東側)に完全に分かれている。

<はじまり 現在まで>
江戸時代には尾張藩徳川家の下屋敷であった。2代藩主徳川光友により、回遊式庭園「戸山荘」または「戸山山荘」として整備され、敷地内には箱根山に見立てた築山の玉円峰(現在の箱根山)、東海道の小田原宿を模した建物など二十五景がしつらえられた。寛政年間には11代将軍徳川家斉の訪問を受けるなど、水戸藩徳川家の小石川上屋敷と並ぶ有数の大名庭園であった。推定1798年9月の戸山山荘を描いた谷文晁による絵巻『紙本淡彩戸山山荘図』が現存しており、1981年に重要文化財に指定されている。その後は数度の火災や水害により荒廃したが、尾張藩の財政難などもあり復興されなかった。

明治維新後、戸山荘は明治政府に明け渡される。跡地には1873年(明治6年)に陸軍戸山学校が開かれ、太平洋戦争終結まで、陸軍軍医学校、陸軍の練兵場などに利用された。戦後、軍事施設はすべて廃止された。1949年(昭和24年)、跡地に戸山ハイツの建設が開始され、1954年(昭和29年)には敷地の一部を公園として整備し、「戸山公園」として開園した。

公園付近は、戸山ハイツといった団地や大学や高校といった文教施設や、社会体育館や障害者センターなど公的な施設が多い。多くは、戦前まで軍事施設が並んでいたところである。

公園には、遊具や緑地スペースのほか、標高44.6mの箱根山がある。

毎年10月の体育の日には、穴八幡宮の伝統行事であり、新宿区指定無形民俗文化財に指定されている流鏑馬が開催される。当日は穴八幡宮から戸山公園まで行列が練り歩き、大勢の観客で賑わう。また、箱根山付近は桜が多く植えられ、花見の名所となっている。(wikiより)

<歴史>
元禄年間 - 尾張徳川家の下屋敷に回遊式庭園「戸山荘」が出来る。
安政年間 - 火災により、焼失。以降再興はなされず。
1873年 - 屋敷跡に陸軍戸山学校が開校。一帯は、軍事施設が立ち並ぶ。
1945年 - 一連の軍事施設が廃止される。米軍の接収を経て、跡地は公園や住宅施設として整備される。
1954年8月16日 - 開園。(wikiより)

戸山公園2025の10、つつじ、新宿区の花
つつじは新宿区の花に指定されています